【SMAP】~思ひ出の記①~デビューの頃
作文に心得のある方でしたらエントリー毎に何かしらテーマを決めてそれを軸に読み応えのあるレポートが出来るのでしょうが、当方何せ書くどころか日頃の思考すら纏まりのないド素人BBA。
無難に時系列に沿った忘備録を淡々粛々と掲げていくことにいたします。
早くも面白味の無いエントリー=0需要の予感に若干震えてますが、迷わず行きます。
私が「SMAP」というユニットを認知したのは、おそらく正式デビュー時の芸能ニュースだったのでは?と思います。
囲みの記者にインタビューを受けている姿を見たのが初見だったかなぁ。
そこらへんは自分個人の生活史と頭に浮かぶSMAP関連映像が紐付け出来てないので曖昧なのですが、後の初レギュラー番組開始までの時間経過の感覚を思い出すと、まあデビュー直後であった事は間違いないです。
その時の彼らに対する印象は、
「え~?難しいなぁ。コレ売れるかぁ~?」
と言った、かなり悲観的なものでした。
今日の成功を鑑みれば「おばはん見る目無いわ~」の一言に尽きますが、ちょっとだけ言い訳させてただくと、ぽっと出のどこの誰とも知らん垢抜けない少年達がゴチャッと突っ立ってる様を見て「これは売れる!」なんて飛ばせるのは大法螺吹きの逆張りちゃんかテリー伊藤さんくらいでしょう。
ただこの時私に彼らの成功が見通せなかった最たる理由は、彼らのタレント性に対する懐疑よりも、当時の地上波TVの状況にありました。
この頃、1970~80年代にかけて一時代築き多くのアイドルを世に送り出した地上波の歌番組は、殆どがレギュラー放送を終えていました。
平日の夕方や土・日にちょこちょこ見かけていた中・高生をメインターゲットにしたアイドル番組も、この頃には…あったのかなぁ?
記憶にないんですよね。
当時はアイドルそのものが世間から求められていない時期だったと思います。
そうなったいきさつは雑に言うと、
'70年代末期=アイドル全盛期のアイコン、松田聖子・中森明菜・田原俊彦・近藤真彦らが登場。ヒットチャートの中心に。
'80年代前期=”ポスト聖子””ポストトシちゃん”を狙って芸能事務所が新人発掘に注力。後に「花の82年組」と言われる一群が人気を博すものの、アイドル市場は飽和状態に。
'80年代後期=アイドル供給過多により飽きられ始める。歌謡曲市場縮小によりアイドルソングも売れず、バラドル・グラドルなど○○アイドルが誕生。光GENGIの一人勝ち。
'90年代突入=光GENJI人気に翳り。J-POP・バンドがチャートの主流。アイドル市場は焼野原。
―とまあこんな具合に90年代初頭には、新人アイドルが名前と顔を売るような番組は軒並みは消滅していた印象です。
在ったとしても、過疎った時間帯に追いやられて、情報に飢えたアイドルファンにしか見られていない状態だったか、BS/CSに移行したか。
そんな中でのデビューですから
「どうやって売ってくんだろうなぁ?」
と言う素朴な疑問と、
「この時期にデビューかぁ…」
と言う同情が、彼らに抱いた最初の気持ちだったような気がします。
案の定、その後暫く彼らの動静を伝え聞いた覚えが無いです。
多分思い出しもしなかったと思います。
彼らとの再会はそんな気懸りなデビューから半年後。
あの番組でした。
(ノ ̄Д ̄)ノ(つづけ!)